ステップ11:祈りと黙想を通して自分なりに理解した神との意識的なふれあいを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。
バリバリの理科系で無神論者だった自分にとって、このステップは無茶でした。でもAAの良いところは、すべてが提案であり、押し付けはしない所です。神を信じなくても「出て行け!」とは言われません。ミーティングの内外で「俺は神様なんて信じてない」と言い放つメンバーはゴロゴロいます。今から思えば、このAAの懐の深さが私の命を救ってくれたんだなぁ…としみじみ思います。
私がお酒を止め始めた頃に参加していたグループでは、必ず「しばしの黙想」と「平安の祈り」の唱和を行ってからミーティングを始めていました。最初は「神様」と言う言葉を人前で声に出すだけでも、何とも言えない違和感を感じ、場違いな所にいるような気がしたものです。まわりのメンバーに受け入れてもらう為に、信じていないくせに信じてる振りをしている自分は姑息な人間だよなぁ…なんて考えていました。ところがどっこい、AAメンバー達に最も親しまれているスローガンの一つに「Fake it until make it」と言うのがあります。「信じられなければ、信じてる振りをしてりゃいいんだよ」という意味です。キリスト教色の強いアメリカのメンバー達でさえ、このスローガンが必要なんだという意外さに驚きました。日本でも、たくさんの新しいメンバーが、AAプログラムの宗教っぽいところが嫌で、その本質に触れる前に去って行ってしまいます。本当にもったいない話です。
しばらくAAに通い続けていると不思議な事が起きてきます。例えば、教会に足を踏み入れたことさえなかった自分が、前述した「しばしの黙想と平安の祈り」が与えてくれる清々しい落ち着きを心待ちにしながらミーティングに通うようになっていました。混沌とした一日の中で、乾いた心を潤してくれるオアシスのような貴重なひと時だなぁ…なんて考えている自分。それまで祈ったことも、黙想したこともありませんでした。そんな非科学的なものは、試してみる価値さえないと切り捨てて生きてきた自分に起こった予期せぬ変化に気恥ずかしささえ覚えました。
私は子供の頃から、とても強い実存不安を抱えていました。いつか自分が死んでこの世からいなくなるという事実に、怯えたまま大人になりました。アルコール依存症になった事とも何らかの関係がある気がします。そんな私にとって、平安の祈りが与えてくれた、「自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを与えて下さい」というメッセージは革命的でした。人間であるからには、いつか死にゆく運命にあることを受け入れながらも、今日一日を精一杯、お酒を飲まずに生きられるように、落ち着いた心を与えて下さいという姿勢は、とっても新鮮でした。
そしてAAに繋がって7~8カ月たった頃には黙想まで始めている自分がいました。しょっちゅう居眠りしてしまうような黙想でしたが、たくさんの仲間と同じ空間でスピリチュアルな時間を共にするのは本当に素敵です。ソブラエティが15年を超えた今、私のスピリチュアルな世界への探求心はかなり旺盛なものになっています。それと共に、霊的世界に造詣の深い人が、不思議と、ちょくちょく目の前に現れるようになりました。学ぶ用意ができたとき、師は現れるという事でしょうか。私にとってAAの仲間たちとの心の旅路は、まだ始まったばかりです。
平安の祈り
神様、私にお与え下さい。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そして2つのものを見分ける賢さを
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